百日紅と太陽

  真夏の太陽に向かって枝を伸ばし、花を咲かせるサルスベリのように。自分の成長を実感できるような読書体験を届ける本屋です。

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そういうことはあまり考えずに

お味噌知る。/土井善晴 土井光 世界文化社

 

イノダアキオさんのコーヒーがおいしい理由/猪田彰郎 アノニマ・スタジオ

イベント出店で出会ったおしゃれなマダムと、料理家の土井善晴さんの話をした。彼女から、土井さんが家庭料理の専門家であること、そして、例えば味噌汁に出汁を使うようになってから家庭料理がおかしくなってきたのだ、といったことを聞いた。家庭料理は本来、出汁がどうとか、味付けがどうとか、そういうことにこだわるものではなく、身近なもので、すぐ作れて、毎日続けられるものである、というのだ。なるほど、と思った。

 

今でこそ出汁なんてスーパーで買ってお湯に入れるだけだから、私みたいな料理のできない男でもそれほど面倒くさがらずに使えるけれど、昔はそうではなかったはずだ。そのような時代にあっても、さっと作れる家庭料理は家族を心身ともに癒してきた。あたたかい味噌汁が体をあたため、お米がエネルギーをつくり、食事中の家族の会話が明日への活力をつくる。それが本来の家庭料理の力だと気づいた時、土井さんの味噌汁の本を読んで、「これなら自分もつくれるかも」と肩が軽くなったことを思い出した。具材はこれが合ってこれは合わない、とか、味付けはこうするべきでこうするべきではない、とか、そういうことはあまり考えずに、あるものをパッと入れて作る簡素な味噌汁が、美味しい味噌汁なのだ、と思った。

 

コーヒーをほぼ毎晩、飲んでいる。お気に入りの豆を挽いて、お湯を注ぐ。美味しく淹れるためのテクニックは、特にない。ちょっと忙しくて心がそわそわしているときであっても、いけないいけない、と心を落ち着かせながら、姿勢を正して、ゆっくりとお湯を注ぐ。それだけ。淹れ方にこだわる必要はないという自信が持てたのは、イノダコーヒの店主、猪田彰郎氏の本を読んだからだ。技術よりも気持ち。プロがそう言うのだから、きっとそうなのだろう、と教えに身を委ねている。お湯は何度くらいが良いかとか、挽き具合はどれくらいが適切かとか、そういうことはあまり考えずに。ただインスタントコーヒーではないのだから、丁寧にお湯を注いで、飲む。ほぼ毎日の習慣であり、飲んでいるときは至福な時間だ。

 

心掛けていることを一つ挙げるとしたら、「おいしくなれ」と心の中で呪文を唱えながらお湯を注ぐことである。この呪文が功を奏しているかどうかは、正直分からない。けれど、その気持ちが大事なのだと自分に言い聞かせながら、今夜も呪文を唱える。その姿は、他人には見られたくない。