自分の口から出る言葉にもっと意識を向けて、丁寧に話をしよう、と思っている。それは、どういった言葉を選ぶかだけでなく、声のトーン、速さ、強弱、間という要素も関わってくる。口をついて出た言葉は、その鋭さによって相手を傷つける可能性があるだけでなく、知らず知らずのうちに自分自身をも傷つけることがある。それが自分以外の他者に対して向けられた言葉なのか、もしくは自分自身に向けられた言葉なのか、発している本人は分かっているつもりでも、身体は思うほど正確に線引きができていないものだ。そのようなことをどこかで読んで知った。それ以来、自分に向けられたら嫌だと感じる言葉は、他者に対しても発しないように注意するようになった。
そう感じるようになったのは、実はそれほど昔からではない。彼の詩やエッセイを何度も丁寧に読むようになってからである。若松英輔さんの7冊目となる詩集「ことばのきせき」を冒頭からゆっくり読みながら感じるのは、書くという行為がもたらす効果をいままで私は見落としていたということだ。すでに書こうと胸に秘めていることを言葉で表現するという順序ではなく、書くことを通して「容易に言葉にできない想い」が自分の中にあったことを感じ直す、という順序なのだそうだ。
言わないだけで
言いたいことが
ないのではありません
ただ 誰に 何を
どう語るべきなのか
分からないだけなのです
(言えないことば)
言わないということは、言いたいことがないということではない。どう言ってよいか分からないことが、自分の胸の中にたくさんしまわれている。だからそれらのことを、書くことですくい出し、その存在に気づこうとすることが、自分も、他者も、両方を大切に扱うために必要な構えなのだと思った。