どこにでもあるどこかになる前に。~富山見聞逡巡記~/藤井聡子 里山社
「都落ち」という言葉が好きでなかった。それには二つの理由がある。一つは、「志を持って都会に出たけれど思うようにいかず、夢は潰えたので、簡単に諦めて故郷に帰る」ということが安易な選択に感じ、それは恥ずかしくてできまいと思うから。もう一つは、「上京しての活動に見切りをつけ、故郷の価値を再認識し、戻って心機一転頑張ろう」という前向きな気持ちを、『落ちる』というネガティブな意味をつけて軽蔑するような風潮に、何か言葉でうまく言い表せないような無責任さを感じるから。この二つの感情は表裏一体で、蔑まれるからその行動を起こしたくないという気持ちと、蔑まれること自体がおかしいだろう、だから堂々としたらいいという気持ちが、ごちゃまぜになっている。
でもいまは、そんな言葉のニュアンスに囚われて負の感情を抱くこともなく、フラットな気持ちでこの言葉と向き合っている。そのポジティブな想いを強くしたのは、この本を読み始めたから。きっかけこそ「なにものにもなれなかった自分に見切りをつけて、やむを得ず帰ってきた」という都落ちであったにせよ、変貌を遂げつつも昔からそこにあった『寂しい富山』を見出そうとするフリーライターのエッセイが、これだ。
声を出して笑ったエッセイは本当に久しぶり。生々しいほどの自虐の言葉がサラサラとやってくる。グレーの紙と艶のある白い紙が混ざっていて、よく見ると読み進めるごとにグレーが薄くなっている。そんな視覚的仕掛けも面白くて楽しい。