百日紅と太陽

  真夏の太陽に向かって枝を伸ばし、花を咲かせるサルスベリのように。自分の成長を実感できるような読書体験を届ける本屋です。

MENU

つくる人になるために

くる人になるために 若き建築家と思想家の往復書簡/光嶋裕介 青木真兵 灯光舎

 

今月は、自分の裁量でやることを決められる日が比較的多い。自営業を始めてから、そのような日のことをオフと呼んでいる。勤めがなく、店番や出張、本の入れ替え等のための外出もなく、一日家で過ごせる。まとまった時間をつかって溜まった事務仕事を片付けるのもよし(現に今日はそれをやっている)、instagramでの情報発信に注力するもよし、面白そうな本を探して発注するもよし。活動的とは言えないかもしれないけれど、室内で、行動はたくさんしている。いつもよりたくさんコーヒーを飲んじゃったりもするけれど、その分自分の力で仕事を前に進めていく、建設的な一日だ。

 

昼休み、地階のリビングより1階の寝室の方が明るいので、ベッドに座りながら本を読む。一人の日は、音読をする。

 

建築家の光嶋裕介さんと、奈良県東吉野村で私設図書館「ルチャ・リブロ」を営む青木真兵さんとの往復書簡集「つくる人になるために」をゆっくり、読んでいる。特定の相手のために筆をとって、思うことを隠さず、正直に綴った「お手紙」は本当に自然体で、読んでいて穏やかな気持ちになれる。社会に対して何か新しいものをつくる立場になるためには(私も何かをつくれるオトナでありたいと、社会人になってからずっと考えてきた。だから結果的には挫折したが、大学で建築を学んだ)、どのように社会を眺め、どのように考え、どう行動したら良いか。そのヒントが往復書簡のあちこちにちりばめられている。

 

青木さんが言うところの「現場に立つ」ことの意義を、自身に言い聞かせている。世間一般が捉える「成功者」像に縛られずに、他人からどう評価されるかなんて気にせずに、一見合理的な行動でないように思えてもあきらめずに、自分から湧き出る衝動を一旦信じてみて、行動しよう、と。たいていの物事が、頭で考える「こうしたい」「こうすべき」の通りに進まないということを知るには、現場に立ち続けるしかないのだ、と。

 

僕は社会の中でいかにコスパよく生きていくかばかり考える人よりも、いかに効率が悪くても現場に立ち続ける人間が増えるほうが、複数の価値観が併存するパワーのある社会になると確信しています。そのような社会の実現のために、他人から「馬鹿」と揶揄されようと、何より自分も現場に立ち続けたいと思っています。

 

光嶋さんが手紙の中で書いている、そのときカフェで隣の席に座っていた「議員らしき女性と会社の役員さんらしき男性」との会話が、耳をふさぎたくなるような聞き苦しい内容で、それでもほんの少し興味深くもあった。「人の人生の価値をお金という数値化可能なものに還元し、査定することができるとごく当たり前に思って疑わないその価値観」を、実は私も持っているのかもしれない、と気づいてぞっとした。

 

ふたりのフワフワで薄っぺらい会話を聞いていて心が重くなるのは、人の人生の価値をお金という数値化可能なものに還元し、査定することができるとごく当たり前に思って疑わないその価値観が、僕の中にも少なからずあるからではないかと思うのです。コスパという言葉そのものも、考え方も嫌いだけど、自分の中に深く突き刺さっている価値観のひとつであるからこそ強く反応してしまうのではないか。

 

相手の言葉を受け入れられないと感じた時に、「自分が常識であり、それに合わない相手の言葉が異質なのだ」といって排除するのではなく、「相手の言葉が受け入れられない自分の方に『受け止める能力』がないのかもしれない」と気づけるようでありたい。光嶋さんが「僕も自分の馬鹿さに自覚的でありたい」と言ったのはつまり、そういう事なのだと思った。