百日紅と太陽

  真夏の太陽に向かって枝を伸ばし、花を咲かせるサルスベリのように。自分の成長を実感できるような読書体験を届ける本屋です。

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夏みかんの午後

夏みかんの午後/永井宏 信陽堂

 

自分が仕事をしていて、ああ、一生懸命やって良かったなあ、と安心するのはどんなときだろうか、と振り返る。そうするとたいてい、「ありがとうございます」と顧客に声を掛けられた瞬間が思い浮かぶ。その時の具体的な情景はほとんど覚えていない。ただ、感謝されて、心が「ふわっと」した高揚感を感じたことを、確実に体が記憶している。ひとつひとつを覚えていないということは、きっと数えきれないくらいの「ありがとうございます」を浴びてきたからであり、気にしなければ見落としてしまうような小さな充実感で満ちあふれているということを仕事は教えてくれる。

 

本書は、美術作家である永井宏さんの小説「夏みかんの午後」(2001年刊)を信陽堂で復刊したもの。料理専門のスタイリストであるエリが、知人の紹介で知り合った男性に影響を受けていく表題作と、ライターの仕事をしながら浜辺でボートを出すアルバイトをする滝川を描いた「砂浜とボート」の二篇が収録されている。

 

両方を一気読みして強く感じたのは、「人は他人に必要とされることで強くなる」ということ。永井宏さんは、エッセイであっても小説であっても、一貫してこのことを表現したかったのではないか、と勝手に想像する。他人から憧れられる。頼りにされる。自分が「余人をもって代えがたい」存在であると実感することが、生きがいの本質なのではないかと思う。その本質に気づいて全身で喜びを発散させる他人を見ると、人はうらやましく感じ、自分もそうでありたいと願うのではないだろうか。