百日紅と太陽

  真夏の太陽に向かって枝を伸ばし、花を咲かせるサルスベリのように。自分の成長を実感できるような読書体験を届ける本屋です。

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「いつもありがとう」

探してるものはそう遠くはないのかもしれない/新井見枝香 秀和システム

 

松浦弥太郎随筆集 くちぶえサンドイッチ/松浦弥太郎 DAI-X出版

 

例えば、お気に入りのお店に通っている時。カフェでも、レストランでも、パン屋さんでも、服屋さんでも、何でもいい。そこで店員さんに、次の言葉を掛けられたら、皆さんはどう思われるだろうか。

 

「いつもありがとうございます」

 

これに対する私の答えは、昔からずっと「嬉しい」一択。もう全身が液体のようにとろけて倒れ込むんじゃないかと思うくらい、嬉しい。逆に感じる人なんていないだろう、くらいに思っていた。だって、自分を「たくさんいるお客さんのうちの一人」じゃなくて「個体識別できる一人の人間」と認めてくれたってことですよ。嬉しいに決まってるじゃないですか。その快感を味わうことこそが、行きつけのお店に何度も行く理由の一つじゃないですか。というように。

 

しかしその、全く真逆の意見に「探してるものはそう遠くはないのかもしれない」を読んで初めて触れた。えぇ、そう思う人がいるんだ、と驚いたそのすぐ後に、そう言われれば、そう思うかもしれないな、と納得も、した。

 

 もう何年もひとりで通っているビュッフェレストランで、「お客様、ご利用は初めてですか?」と聞かれた。

 心中ニンマリだ。何度でも、初めてですかと聞いていただいて構わない。

 そして、どうか「いつもありがとうございます」だけはやめていただきたい。いや、やめてくださいお願いします後生ですから。

 そう言われた途端、もうそこには行き辛くなってしまう。

 仮面をつけたまま食事はできない。

 

エッセイを読むことなどを通して他人の生き方、考え方に多く触れていらっしゃるであろう書店員の著者が、こう赤裸々に語っている。こう思うのは彼女だけではなさそうだ。むしろ、この本を読んで以来、「いつもありがとうございます」の一言に跳ね上がるように喜んでいた自分の方が少数派なのではないかと心配になってきた。

 

一方、嬉しいと思う自分を正当化することもできる。大好きなエッセイ集「くちぶえサンドイッチ」で、彼の「本当の気持ち」に触れて、共感したからだ。私の昔からの気持ちは、これにとても近い。

 

そこには、可愛くて、きれいな女の子が数人働いていて、いつも元気良く、いつも感じ良く、とてもうれしいのです。それは正直な気持ちです。で、そうやって働いている姿を見ていると、いや、じっとは見ないけれど、なにげなく見ると、ああ、ぼくも頑張ろう、なんて単純に思ってしまうのです。男子ならみんなそうなんじゃないかな。そして、特別な一言、たとえば「いつも、ありがとうございます」なんて言われれば、実はとびきりにうれしかったりするのです。それで何かがポトンと落ちるのです。カフェやレストランで働く仕事は素晴らしいなあと思います。お客は知らんぷりしてるけど、きっとぼくみたいな気分で訪れている人は少なくないはず。沢山の人の寄り道を作ってくれているのです。時間がなくたって、ああ、あそこでお茶していこう。笑顔に会いにいこう。言葉にはしないけど、「いつもありがとう」って思っています。ほんとです。

 

掛けられた言葉は同じでも、人によって感じ方は全く異なる。そして、逆の感じ方に触れた瞬間に、そう思う気持ちも分からなくはないな、と納得した私のように、同じ人でも感じ方は変わる。他人から投げかけられたメッセージがもつ力って、絶大だなあ。