読書と社会科学/内田義彦 岩波書店
黄色い表紙の岩波新書を新品で購入したのは、もしかしたら初めてかもしれない。わざわざネットショップで、送料を費やして買うなんて無粋だったかな。街の古本屋で探して買った方が良かったかな。買ってから後悔したけれど、もう遅い。しかし「2021年12月6日 第45刷発行」と書いてあったので、いまだに増刷されているならいいか、と納得した。
法律の入門書(※)を読んでいて、その著者が名著だと紹介していたのが本書だ。約38年前に発行された本であるが、今の日本人にとっても大事な、読書との向き合い方が提示されているように思える。「はじめに」を読んで早くもノックアウトされ、自分の読書方法を強く見直すきっかけになった。ちょっと長くなるが、大事だと思うことなので、引用したい。
本を読むったって、本を読むだけに終ったんじゃ、つまらないでしょう。ウェーバーについて詳しく知ったって、ウェーバーのように考える考え方、なるほどさすがにウェーバーを長年読んできた人だけあってよく見えるものだなあ、ウェーバー学も悪くないと思わせる見方を身につけなければ仕方がない。論語読みの論語知らずといいますね。字面の奥にある「モノ」が読めてこなきゃなりません。本をではなく、本で「モノ」を読む。これが肝心で、つまり、真の狙いは本ではなくてモノです。まして、本に読まれてモノが読めなくなるような読み方では困りますね。ところが、じゃあ、本を抜きにしてじかにモノを読む、それでモノが見とどけられるかというと、そうはいかない。何故か。何故本を読まなければモノが読めないかということになると本当は難しい問題になるので、今日のところはサラッと逃げておきますけれども、とにかく読まなくちゃまずいんです。少くとも、いい本は、上手に読めば、読んだだけの甲斐があったと思わせるものを持っております。読んで初めて眼が見えてくることは確かにある。読まなきゃ損です。真に自由な眼の持ち主になれない。で、本でモノが読めるように、そのように本を読む。それが「本を読む」ということの本当の意味です。
本は読むべし読まれるべからず、とさしあたり言っておきましょう。
(本文中の傍点による強調を、本記事では太字による強調に変えています)
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sarusuberi-to-taiyo.hatenablog.jp