千葉の市川から自由が丘に引っ越す決断ができたのは、自分でクライアントとなって設計してもらった住宅に住むという長年の夢が叶うチャンスだったから、というのももちろんあるけれど、付け加えて、新居が駅から少し離れた住宅地エリアにあって、落ち着いて過ごせそうだと思ったからだ。これが賑やかなエリアだったら、また判断は違っていたかもしれない。うまく言葉では表現できないのだけれど、昔から都内の人が集まる街に対する疎外感みたいなものがあって、「すごいすごい。人をこれだけ呼ぶことができて。そこに自分は呼ばれていないようだ」と思っていた。そういう街に住むことに対する抵抗は、「瘴気」として徐々に身体をむしばむのだろう。その瘴気から逃れられたと身体が感じたからこそ、自由が丘に住むという大胆なことができたのかもしれない。
「私の身体は頭がいい」で、住居を探すことは師匠を探すことに似ているという考え方を知った。自分に利益をもたらせてくれる、自分を成長させてくれる相手を、理屈では説明しえない何かを敏感に察知することで選ぶ。その「理屈では説明しえない何か」が身体に宿っている感覚を、見逃してはいけないと思った。