いのちを呼びさますもの/稲葉俊郎 アノニマ・スタジオ
THE YELLOW MONKEYの東京ドーム公演を観た。喉頭がんを患い、そこから復活した吉井和哉さんが歌うことができるのか、実は不安で仕方なかった。しかしそれは杞憂だったとすぐに思い知らされた。パワフルな歌声は変わらない。苦しそうに歌う瞬間こそあっても、心のど真ん中を突いた音楽はむしろ力を増していた。「自分だけが大変だとは思わない」そう言っていた彼のように私も、「自分だけが」と嘆くのではなくて、明るい光が射すのをじっと耐えることのできる大人でありたいと思った。
喉頭がんをめぐるドキュメント映像から、「人生の終わり(FOR GRANDMOTHER)」へと流れ込む。大好きな歌詞が印象的な大曲だ。
君の愛で育ったからこれが僕の愛の歌
喉頭がんと向き合う彼の姿に、3年前、脳梗塞にやられて入院した時のことを思い出した。その時、病床で暇を持て余すように読んでいたのが「いのちを呼びさますもの」だった。ミクロの視点で病という出来事だけを見るのではなくて、身体全身の調和を取り戻すためにどう治癒していけばよいかを考える姿勢こそが必要だ。身体は、治癒するための驚くべき力を持っている。裂けた血管は元に戻ろうとして、新たな血管を生み出すのだという。生命力の神秘を目の当たりにして、結果論だけれど、病が自分に訪れなかったら、自分の身体にこれほど敬意を持つようにはならなかったかもしれない。
若松英輔さんの7冊目の詩集「ことばのきせき」に、このような美しい詩がある。
きみは
けっして
忘れてはいけない
貴く生きることも大事だが
きみが生きている
そのこと自体が貴いんだ
きみが
優れた人間だからではなく
良いことをするからでもない
世にたった一人のきみが
こうして
存在していることが
ただただ 貴いんだ
貴いとは
そういうことなんだ
(高貴な人生)
高校生の頃に活動を休止し、そのままフェイドアウトするように解散したロックバンドが、10年以上の時を経て復活し、今もなお美しくいられるだけでも奇跡なのに、病を経てそれさえも糧にして強くなっていく。これを貴いと言わずして何を貴いと言うのだろう。本調子でなくて一旦は公演を延期するような状況であっても、「バンドの活動は別にできなくてもいいし、元気でいてくれれば」とメンバーが言ったように(※)、元気でいることそれ自体が高貴であるということに、今回の公演を経て気づいた。
自分の身体を大切に。元気でいられることに誇りを。手垢のついた言葉のようだけれど、大切なことだ。
(※)ROCKIN'ON JAPAN VOL.569 p45