
公共をかたちづくるためにまず身を削るのは「おまえ」ではないし「やつら」でもない。それは「私」である。(沈む日本とカオス化する世界/内田樹 SB新書)
公共、それは「コモン」と言い換えてもよいのだけれど、その言葉の意味と、そこへの適切な関わり方を、このところずっと考えている。誰もやりたがらないのなら、それを待つのではなく自分が手を挙げる。そんな大人を、実はずっと目指している。内田樹が言う「私財の増大よりもコモンが豊かなものになることを優先的に気づかう態度」こそ、私に限らず皆にとって必要な態度だろうと思った。端的に言えば、内田の言うように「やせ我慢」だ。では、私はどう行動することでコモンを豊かにできるだろうか。