
地質学者のように考える タイムフルネス、新たな時間認識/マーシャ・ビョーネルード 著 江口あとか 訳 築地書館

神と仏の人文地質学 地殻変動で解き明かす日本古代史/巽好幸 光文社
高校時代、「地学Ⅰ」の授業が大好きだったことを急に思い出した。岩石とか、地層とか、火山とか、そういったことを扱う、地学だ。正直あまり人気のない科目だった。「物理」「化学」「生物」「地学」とある理科の4科目のうち、大学入試で必要になるため学ばなければいけなかったのが「物理Ⅱ」と「化学Ⅱ」。で、確か理科は2科目までしか授業を受けることができなかったから、物理Ⅱと化学Ⅱを学ぶ代わりに、地学Ⅱの授業を諦めた。くやしかったその反動で、大人になってからも、少しずつ学び続けたいという意欲は持っている。
「地質学者のように考える」を、少し背伸びして買って、読んでいる。地質学そのものを学び直したいという動機だけではない。それよりも、地質学が扱う「時間の捉え方」を、もっと別の、仕事や日々の暮らしでも意識することができたら、景色の見え方が変わってくるのではないかという期待があった。本書ではその地質学特有の時間認識を「タイムフルネス」と呼び、その時間認識を持つ大切さを説いている。
もし、タイムフルネスが広く受け入れられれば、私たちは自然との関係、他者との関係、そして自分自身との関係を大きく変えることができるだろう。私たちの個人的な物語や文化的な物語が、さらに大きくて長い、現在も進行中の地球の物語の中に常に埋め込まれていることを認識することが、環境への破滅的な野心や傲慢さから私たちを救い出してくれるかもしれない。
時間を意識した、ポリテンポ(註釈/複数の異なるテンポが同時に進行すること。多層的な時間)の世界観は、人生の長さよりも、むしろその中で得られる豊かな経験の集まりに焦点を移し、私たちの命が有限であるという事実に対する神経質な不安さえも和らげてくれるかもしれない。
2,000年前を紀元元年として、その前を紀元前と呼ぶ。学校の歴史の授業で習う、徳川家康が征夷大将軍になった、とか、ペリーが来航する、とか、法然が浄土宗を、親鸞が浄土真宗を開く、とか、そういったことは全て過去2,000年以内の出来事だ。しかし、地質が伝えてくれる地球の歴史は数億年規模。その歴史を思うと、いま自分が生きている時間などほんの一瞬の、誤差のようにも感じられる。なら適当に生きればいいのかというとそういうことではない。今の自分の一つの行動が、例えば10年後、50年後にどういった影響を与えるのか、といったことに想いを巡らせること。また、今自分が受けている何らかのサービスや、暮らしを豊かにしてくれる何らかの「モノ」が、いつ生まれて、どれくらいの時間にさらされてきたのかに想いを巡らせること。こうした態度が謙虚さを生み、新しい視点を授けてくれるのではないだろうか。
「神と仏の人文地質学」も面白い。特に、熊野が霊性の大地として語り継がれているのには、紀伊山地という「地球の隆起」が与えている影響が大きい、という仮説は興味深い。隆起という、人類の誕生よりはるか以前から存在していた地質の影響が、モンスーンを上空に吹き上げ、多量の雨を降らせ、豊かな森をつくる。それが自然信仰を生み、山岳修行者が入ることで神仏融合が起きる。ということは、現在の人の宗教観を一部形成することに、地質学上の出来事が関わっている。そうした出来事の結果として今があるのだと知れれば、それこそ「環境への破滅的な野心や傲慢さ」から私たちは開放されるのではないだろうか。