
選ばない仕事選び/浅生鴨 ちくまプリマー新書

仕事に関して、自分はこれから何を、どのように続けて行けばよいのだろうか。そんな悩みを感じたときに、立ち返る言葉がある。それが「仕事は自分で選ぶのではなくて、向こうからやってくるものだ」というものだ。自分がやりたいことをやるのではない。「これやって」と相手から手渡されるものだ。それは小学生くらいのころから「やりたいことをやりなさい」と言われてきた自分にとっては最初、衝撃的な言葉だった。将来の夢を持て、やりたいことを見つけろ、と言ったのは大人の方じゃないか、と。ただ自分が大人になって、仕事もだいぶ熟達してきた今、感じるのは、自分自身の「これやりたい」という強い思いは、実際の仕事を進める上では必ずしも必要ではない、ということだ。言い換えると、「これやりたい」という強い思いがなくても、一定程度の品質のサービスを提供できるよう動くのが仕事なのではないか、と。
「ちょっと、手伝って」という他者からのSOSを聞き取って、それに応じることが大事だ。これが仕事の本質である。そう教えてくれたのは、内田樹「街場のメディア論」。このように他者から頼られることで初めて、「自分はここにいてよい」「自分は他者に必要とされている。存在を祝福されている」ことに気づく。
人間の潜在能力は「他者からの懇請」によって効果的に開花するものであり、自己利益を追求するとうまく発動しないということです。平たく言えば、「世のため、人のため」に仕事をするとどんどん才能が開花し、「自分ひとりのため」に仕事をしていると、あまりぱっとしたことは起こらない。
作家の浅生鴨さんも同様のことを新書で言っていて、驚いた。これまでの仕事は自分から「これをやりたい」と一方的に言って叶ったものではなく、やりたいことがないから、向こうからやってきたものにただ反応していただけなのだという。
いつどこで仕事に選ばれるのかは分からない。出会ったときが仕事の始まりなのだ。だから学校の先生に何を言われようとも、将来についてはあまり真剣に考えなくていいと僕は思う。別に「なんとかなるさ」と適当な言葉でごまかそうとしているわけじゃない。どうせ仕事が君を選ぶのだ。将来どんな職業に就きたいかなんてことは細かく考えず、ただ、自分は世の中に対してどう行動をする人になりたいのか、どんな人でいたいのかだけを考えていればいい。そして、いずれやってくる仕事との出会いを待っていればそれでいい。
これらの言葉を受けて、仕事に対する姿勢がほんの少しだけ、変わった気がする。どうしてもやりたいことなんて、なくてもよい。「やりたいことは不要だ」と言いたいわけではない。あった方がより有意義だろうけれど、なければならないほどではない。「やりたいことがあるんだ」と内心思っている人が、「そんなのなくていいんだよ」と言われることを恐れてやりたいことを握りつぶす必要まではない。それくらいの程度の「やりたいことは、なくてもよい」だ。
それよりも、他ならぬ自分へと向かってきたSOSに、なるべく誠実に応答することに意識を向けられる大人でありたい。そう今は思う。