百日紅と太陽

  真夏の太陽に向かって枝を伸ばし、花を咲かせるサルスベリのように。自分の成長を実感できるような読書体験を届ける本屋です。

MENU

【#本屋ホント】おれは今日も飯食って出かけるぜ

水晶体に映る記憶/小林ひかり

 

お久しぶりです。私は「本屋ホント」というエッセイ専門の書店です。エッセイ本だけを取り扱っております。私はエッセイが大好きです。エッセイにはその著者の「本当」が詰まっていると感じるからです。そしてそこから自分との違いを知れたり、共感したりできるからです。

 

ひょんなきっかけで出会った作家さんの自費出版ZINEを取り寄せました。「水晶体に映る記憶」。日々の本当に何気ないことを淡々と綴ったエッセイ集です(noteで連載をされています)。会ったこともない方なのに、なんだか身近な友人が自分の内面を、きっと恥ずかしいだろうなあと思うようなことも臆せず、さらけだしているようなその文体に、読んでいて安心します。なんでこういう文章に惹かれるのでしょう。昔はこれみよがしな「自分自慢」「不幸自慢」「自虐大会」みたいな文章が鼻につくことが正直多かったのですが、今はそんなことはありません。むしろ自分との違いを「新しい発見」と前向きに吸収できるようになりました。

 

「美味しい」は自分が吐くかなり素直な類の言葉だと思う。食事をするとは、そういう素直な自分を引き出す1つのきっかけなんだと思う。そこから芋づる式に素直な感情が出てきたら、とても健やかな循環なんじゃないかな。しんどい時は、とりあえず美味しいご飯を食べる、改めて心に刻みたい言葉。

 

エッセイを書くことでその人の内面が表面化するのと同じように、美味しいご飯を食べて感想が口をついて出てくるときに、素直な感情がそのまま放出される。エッセイを書くことと美味しいご飯を食べることは、もしかして目的は一緒なのでしょうか?とすると、誰かと一緒に食事をして、相手の「美味しいー」を聞くことには、他人のエッセイを読むのと同じ快感があるということでしょうか?

 

食べることをおろそかにすると痛い目にあうということは、これまでに何度か経験してきました。食べすぎは良くないけれど、足りないのもまた良くありません。思い浮かぶのは、エレファントカシマシの「Easy Go」。Bメロ後半からサビ突入まで息継ぎせず長く叫び続けるには、それ相応のエネルギーが必要です。エネルギーを蓄えるためには、食べなければいけません。おれは今日も飯食って出かけるぜ!

 

しんどいことがあったら、自分の心が喜ぶものを食べとけ。この言葉をお守りにしてから、何度も沈んだ気持ちを回復させてきた。