百日紅と太陽

  真夏の太陽に向かって枝を伸ばし、花を咲かせるサルスベリのように。自分の成長を実感できるような読書体験を届ける本屋です。

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コミュニケーション能力とは

街場の共同体論/内田樹 潮出版社

 

複雑化の教育論/内田樹 東洋館出版社

 

内田樹「街場の共同体論」を本棚から引っ張り出して久しぶりに読んでいる。しばらく前に少し読んで、さすがだなぁと思いながら、それでも本棚で他の「街場の〇〇論」と混じって読みきれていなかった。今の通勤のお供は本書だ。

 

複数のトピックスについての論述をまとめたものだが、特に面白いと思ってここで取りあげたいのが「第六講 コミュニケーション能力とは何か」。本講を読んで、鋭い指摘に身が引き締まると同時に、少し前に読んだ「複雑化の教育論」で同様のことを論じていたな、と思い出した。「複雑化の教育論」の方が新しい本であり、著者は「街場の共同体論」で先にこのことについて論じていた。しかし私は、「コミュニケーション能力とは何か」という著者の定義を「複雑化の教育論」で知った。当時も今の、著者の考えに激しく同意するものである。

 

つまり、コミュニケーション能力とは、コミュニケーションを円滑に進める力ではなく、コミュニケーションが不調に陥ったときに、そこから抜け出すための能力だということです。(街場の共同体論 p190)

 

すでにコミュニケーションが成立しているところをさらに円滑にすることではなく、コミュニケーションが立ち行かない時にその状況を打破すること。それが彼の言うコミュニケーション能力である。プラス10をプラス100にすることも大事だけれど、それだけでは足りない。意思疎通ができないマイナスの状況が、どうしたらプラスに転じるかを考え、実践する能力が本当のコミュニケーション能力ということだ。ゆっくり転がっている荷車を手で押してあげることではなく、氷で車輪が固まった荷車を少しでも転がせる状態にしてあげること、と例えても良さそうだ。海外のスーパーのレジで店員が何と言っているのか分からず、身を乗り出して「今何て言ったのですか」とゆっくり尋ねたことで意思疎通ができた、という著者の本書での例えは非常に分かりやすい。

 

このことは、「複雑化の教育論」でも論じている。改めて読み返すと、「街場の共同体論」にあるスーパーのレジの例と合体して、より自分の身体に「本当のコミュニケーション能力を涵養すべし」と語り掛けてくる。

 

コミュニケーション能力というのは、言いたいことをうまく相手に伝える能力のことではありません。コミュニケーションが途絶して、言葉がうまく通じなくなった状態から、コミュニケーションを再開させる能力のことです。交渉能力というのは、押したり引いたりして自己利益を確保する技術のことではなく、交渉の余地がないような緊張関係をとにかく緩和して、対話的環境に持ち込む能力のことです。ほんとうに重要な能力というのは、すでにあるものの上に何かを加算する力ではなくて、マイナスからプラスに転じる力のことです。(「複雑化の教育論」p66)

 

既にゆっくりでも転がっている荷車を転がすにはそれほど力は必要ないけれど、車輪が固まった荷車を動かすには力が要る。無理やり氷を壊す怪力を身に付けろ、ということではない。マイナス状態からプラスに転じさせる柔軟な思考力と実行力を、もつ人間でありたいと強く思った。