「詩」を読むことについては昔からずっと苦手意識のようなものがあって、なかなか味わえないように感じていた。その言葉が訴えかけてくるメッセージをきちんと受け止めきれずに、取りこぼしているような気が常にしているから。そう自分で分析する。ただ、特定の偉人しか書けないものではなく、それが誰であっても、気持ちを伝えようとつとめる人の真っすぐな表現が詩であるのだとすると、それを読む行為に上手いも下手もないのかもしれない。若松英輔の言葉をいろいろな書物で味わう中で、最近そう思うようになった。
「言葉」と「薬草」の共通点をこのように考えたことがなかった。かつて薬草を商うことを仕事としていた著者ならではの視点が胸を突く。甘い言葉だけに酔うのではなく、苦い言葉も、あるときはぐっとこらえて受け入れなければいけない。