百日紅と太陽

  真夏の太陽に向かって枝を伸ばし、花を咲かせるサルスベリのように。自分の成長を実感できるような読書体験を届ける本屋です。

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走ること

武道論/内田樹 河出書房新社

 

それからの僕にはマラソンがあった/松浦弥太郎 筑摩書房

 

走ることについて語るときに僕の語ること/村上春樹 文春文庫

 

ジョギングが趣味の一つだ。しかし昔から走ることが大好きで、ずっと趣味のように楽しんで走っていたのかと言うと、そうではない。習慣にし出したのは、本当に最近のことだ。身体を引き締めたいとか、体力をつけたいとか、いろいろ理由はあるけれど、一番のきっかけは、この3冊をパラパラと読んで、何か結びついたように感じたことだ。

 

松浦弥太郎は朝のジョギングを日課にしているという。どんなことがあっても、少しづつでも、ゆっくりとしたペースであっても、とにかく毎日走ることが大切で、それを年単位で続けることで徐々に身体がつくられていく、と言っている。年単位と言うと気が遠くなるけれど、身体は一日やそこらではつくれないのだということを思い知った。その気が遠くなることをやってのけるオトナになりたいと思った。

 

内田樹村上春樹のファンを公言していて、「走ることについて語るときに僕の語ること」を読んで感じたことを、「武道論」のなかで綴っている。小説を書くために必要な力と、ジョギングを続けるために必要な力は、本質的で同じだという武道家としての確信を、彼は持っているという。ジョギングを続けることで感じるもの、それは「外から何か大いなる力が加わって、自分の身体的パフォーマンスが向上する」という感覚。そのことを内田樹は「人間が発揮することのできる最も大きな力は人間の中に起源を持たない」と表現している。自分の中に自分を向上させるエネルギーを秘めているのではなく、外からやってくる。だから自分の身体を、力を通すための「良導体」にすることが必要だという。村上春樹がジョギングを続けているのも、小説を書く行為を「鉱脈を掘る」と表現するのも、一心不乱に取り組むことで外から力が寄ってくる、それによって内なる力が活性化することを意味しているのではないか。

 

私がジョギングに求めているのはもっと表面的で、単純に、ちょっとの苦痛を感じながら走っている時間が楽しいから。趣味に過ぎないんだ、くらいの気持ちで走っている。だから、長い距離を走ることを日課にするとつらくなって挫折する。でも、それを続けることで自分に外から大いなる力がやってきて、良導体である自分の身体を経由して、心臓から強い力が生まれ、仕事等を通して何か価値のあるものを出力する。その生産を、私は無意識に望んでいるのかもしれない。