百日紅と太陽

  真夏の太陽に向かって枝を伸ばし、花を咲かせるサルスベリのように。自分の成長を実感できるような読書体験を届ける本屋です。

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書肆 呼吸

 

書肆 呼吸。「しょし こきゅう」と読みます。この名前の架空の本屋を、このブログ内で展開していこうと思います。

 

読書とは、人間にとって当たり前の営みだと思っています。呼吸をするのと同じように。別にたくさんする人がすごいわけではない。呼吸の量が多い人に対して「すごいですね」「偉いですね」と言わないですよね。それと同じです。その人がただたくさん吸って吐きたいからそうしている。読書も同じ。何か大いなる力に導かれた、大それたことをしているわけではない。他人に尊敬されるような、崇高なことをしているのでもない。ただ読みたいから読んでいる。他人と比べてその量が多いだけ(他人より多く読まないと満足できないタチなだけ)。多読家って、たぶんそういう人なんじゃないかと思います。だから、読書と呼吸との間には強い類似性があると私は感じています。

 

こんな本屋があったらいいよな、と具体的にイメージするのは、どんな人にとっても当てはまる「つかみどころのない本屋」。特定の趣味趣向の人だけが楽しめる、偏った本だけが置いてあるのではなくて、そこにはいろいろな本が置いてある。エッセイもあれば、絵本もある。法律の専門書もあれば、中学校の国語の授業で登場するような古典文学もある。釣り道具の雑誌もあれば、週刊少年ジャンプもある。哲学書もあれば、詩集もあれば、モノクロ写真集もあれば、神宮館の暦の本もある。そんな本屋が、まぁ実現するのはそうとうハードルが高いけれど、実際にあったら、それなりに居心地が良いと思う。自分がどんな読書欲をもっていても、受け入れてくれるんだという安心感がある。

 

人間が呼吸をするのと同じように、当たり前にそこで息を吸い、吐いている本屋をつくりたい。実店舗はいまのところ無理なので、本ブログ上で、架空の本屋という形で、自由につくりたい。そう思い、「書肆 呼吸」を開店します。ちなみに「書肆」(しょし)は、広辞苑無料検索によると、「書物を出版したり売ったりする店。書店。書林、書舗(しょほ)。」という意味。じゃぁ「書店」とかでいいじゃないか、となりますが、そこはちょっとカッコつけたかっただけです。本当にそれだけの理由です。さまざまなコンセプトの本屋を複数創作し、それぞれの本屋の店主になったつもりで、本を紹介していきます。まだ手探りですが、どうぞよろしくお願いいたします。