百日紅と太陽

  真夏の太陽に向かって枝を伸ばし、花を咲かせるサルスベリのように。自分の成長を実感できるような読書体験を届ける本屋です。

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静寂とは

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静寂とは/アーリング・カッゲ(著)・田村義進(訳) 辰巳出版

 

「静寂」という言葉をテーマにした本屋さんがあったら、素敵だと思う。喫茶店もいいだろう。ただ無音で静かな空間を表面的に表す言葉としてではない。外からの刺激を遮って自分の内面に向き合う態度は、自分に長期的な強さをもたらしてくれるように思う。

 

 雪をかぶった静かな山の頂に行ける機会を長々と待たなくても、あわただしい日々の暮らしのなかで見つけられる平穏な瞬間を指す言葉だ。

 静寂とは、「詫び寂び」を生み出す日本の美意識と禅の哲学に見られる七つの原理の一つである。詫び寂びとは、仏教哲学に起源をもち、何事も永久には続かないということを受け入れて不完全なものの美しさを認めるという、審美的な世界観である。未完のもの、いびつなもの、簡素なものに価値を認める。静寂とはこうした原理の一つであり、静まり返った禅宗様式の日本庭園で座っているときに経験する感覚と表現される。

(幸せに気づく世界のことば/メーガン・C・ヘイズ フィルムアート社) 

 

人には、静けさが苦痛なときもある。忙しなく動いているよりも、何もしないでいることのほうが難しいと感じることもある。被験者が、何もせず静かに一人で座っているより、軽い電気ショックを受けるなどちょっとした不快な状態を選ぶという実験は、人は自分をじっくり見つめることを避け、他のことを考えたり感じたりする方を好むのだということを教えてくれる。

 

自分も、そうなのだろうか。毎朝ジョギングしようと思い立ったのは、ジョギング中に苦痛を紛らわせるためにいろいろなことを考える、その時間が楽しいからと思っていたけれど、実は「静かな気持ちで自分を見つめることから逃げて、苦しい状態に身をおくことを積極的に選んでいる」ということなのか。そういうことなのだよ、とビシッと言い渡されているようで、どきっとした。

 

「静寂は贅沢品」たくさんの欲しいものに囲まれる、物質的に豊かな暮らしは、束の間の悦びしか与えてくれないのだという。一方、静寂を意識した贅沢は、お金もかからず、誰でも、どこにいても手に入れることができて、長く味わうことができる。そういう「静寂という名の贅沢」を知る人間でありたい。